なんか、色々と便利なものが増えてるじゃないですか。
先日、近くのアップルストアの前を通りかかったんですけど、すごいですね、人だかり。
うわー気持ち悪い・・・と思ってしまった。
そんなに覗き込んでも、世界は見えないと思った。
いや、見える世界もあると思う。
「情報」っていう、世界は広がると思う。
じゃあ、「感覚」っていう世界はどうなると思う?全ては自分の中にあるっていうのに、そんな平面を見つめて、なにを必死になってるの?って、ねえねえって、顔を覗きたくなった。
そんな平面の画面に向かって、こうして文字を打ち込んでいるわけなんですが、私も。
そんな平面の画面に映された映像や、音楽で胸を詰まらせて涙が出そうになったりするわけですが、私も。
その後を皆みんな、大事にしたら良いのになぁって思います。


なんか、気持ちが悪いんです。あの中にみんな吸い込まれそうで。
あの中に全てが詰まってる錯覚に陥りそうで。私自身が流されやすいからかもしれない。
ツイッターはもうやめた。投稿するのはもう嫌になった。
あれももう気持ちが悪くなってしまった。
最初、一人の大好きな子だけをフォローしてたのですが(ここでも以前書いた)結局友達をフォローしていきました。
フォローしてくれた友達をフォローしました。
友達たちのつぶやきが悪いだけじゃなくて、私の感覚の問題ってだけです。
異常な違和感を感じてしまったからかしら。よくわかりません。



毎日毎日、時間は止まることなく進んで、人も、その人から創り出されるものも、ずっと変わっている。
変わらないものなんて無いし、変わらないとしたら、それは考えることをやめてしまったただのたんぱく質でしかないかもしれない。
変わることがカッコ悪いんじゃない。きっと、みんな怖いんだと思う。私も怖い。
でも変わることがカッコイイと思わせてくれると人達はたくさんいる。
考えろ、考えろ、考えろ、想像しろ。
そうやってカッコよくなれれば一番良いと思える。



自分を知っている人にむけて文章を、考えていることを書くという作業(作業って言ってる時点でもう終わってる)が嫌になってしまうね。
こう書いたらどうだろう、って、意識しすぎた文章は、なにも面白くなんかない。
書いたとて、価値観が違う人間通しだから、伝わるとも限らない。
それも、声のトーンもなにもかもが伝わらない、パソコンや携帯の画面で見る文字の羅列となれば、余計にの話。
自分と一緒の考え方の人間がびっくりするくらい少ないってことは、だいたい皆知ってて(知らないフリしてる人もいると思うけど)そんな人にめぐり合えたらその人を放しちゃいけないんだ。
それ以外の人がわるいわけじゃなくて、それこも全部当たり前のこと。
1個のことでも、丸かったり四角かったり、優しかったり、恐ろしかったり、脳みそが違ったら、違って普通。
それを、どこまで共有・・・は語彙があるけど、そうできるかが大事ってことにもなる。



それが、出来てるのか、出来てないのか、不安になってきた最近。